【第514号】令和5年10月

≪  ロータリー・エンジン復活   MAZDA  ≫

東洋コルク工業は1920年コルクを生産販売する会社として広島で創業します。
1925年コルク工場が火災に遭うと、松田重次郎社長は1927年東洋工業㈱に社名変更し機械事業に進出します。
1928年広島・呉海軍の指定を受けて航空機のエンジンやプロペラ軍艦の精密機械などを受注します。
独自の製品を持ちたいと考える松田社長は自動車製造を目指し1930年(昭和5)には三輪トラックの開発に着手します。
この頃トヨタは1935年にG1型トラックを発表、1936年には量産乗用車を発表しております。
1931年マツダは三輪トラックを発売、国内シエア25%となり軍需用として海外へも輸出されます。

昭和20年8月広島に原爆が投下されますが東洋工業の被害は少なく、戦後三輪トラックの生産を再開します。
東洋工業の三輪トラックは昭和24年から昭和29年の間に、売上は12倍となります。
同時に開発する小型4輪車も、昭和25年には東洋工業初の4輪トラックとして発売しますが販売にはつながらず一旦生産中止となります。

昭和35年以降日本のモータリゼーションは事業用車から個人用へ移行していき、やがて大衆乗用車の富士重工スバル・360や三菱500が発売されます。
昭和30年通産省は将来の貿易自由化に備えて、国内自動車メーカーを「普通自動車」「高級車」「軽自動車」に分類する構想を発表しておりました。
東洋工業は昭和34年軽乗用車の開発に着手、昭和35年四輪乗用車R360クーペを発売、昭和37年大人4人乗りのキャロル360を発売します。
昭和39年の東京オリンピックを控える昭和35年から昭和37年にかけて、トヨタ・日産を抜く大ヒット車となり国内販売数一位となります。
しかし東洋工業の車種は三輪トラックと軽自動車であった為、経営基盤・収益性は弱くトヨタ・日産にははるか及びません。

東洋工業は「軽自動車」の代表的メーカーに分類されており、総合自動車メーカーを目指す松田恒次社長は独・NSU社のロータリー・エンジン「RE」に特許料を支払い技術導入を決めます。
昭和36年からREの開発が始まり40億円の投資により昭和42年RE車コスモスポーツが発売されます。
通産省の三分類講想は当時二輪車メーカーの本田宗一郎の猛烈な抗議により立ち消えとなりました。
昭和45年にREは念願の米国進出を果たします。昭和45年米・フォード社の強い要望で資本提携交渉に入りますが、昭和46年のニクソンショックも重なり昭和47年決裂します。

昭和45年米国では排ガス規制・マスキー法は発効されますが、東洋工業のREとホンダのCVCCエンジンのみがこの規制を達成します。
昭和48年には米国輸出車の7-8割がRE車となります。
しかし昭和48年10月の第一次オイルショックで石油製品は5割以上の上昇となります。
米国はRE車の燃費は通常の1.5倍と発表、オイルショックと重なりRE車は極度の販売不振に至り、東洋工業の財務体質は極度に悪化します。
昭和53年主要銀行・住友銀行により、米・フォード社が東洋工業へ25%出資する資本提携が実現します。
昭和53年発売のサバンナRX7は日米で大ヒットし昭和59年ブランド名「マツダ」から、マツダ株式会社に改称します。

1989年発売するロータリー・エンジン搭載の、二人乗り小型オープン乗用車「ロードスター」は生産累計世界一としてギネスブックに認定されます。
1991年には日本メーカー初のマン島24時間レースで総合優勝をはたします。

1979年来フォード社との提携関係が長く続き、1996年には同社の傘下に入り生産施設などを共有化します。
しかし、2008年米国でリーマンショックが起り、世界的金融危機がフォード社も波及し経営悪化に陥ります。
2015年マツダはフォードを離れトヨタとの中長期提携を発表し2017年には業務資本提携を結ぶことで合意し、相互に500億円分の株式を取得しトヨタはマツダの第二位の株主となります。

Rotary Engineは一般的なレシプロエンジンのような往復動機構による容積変化ではなく、回転動機構による容積藩化を利用して熱エネルギーを回転動力に変換して出力する原動機です。
1957年独の技術者F・ヴァンケルの発明によるREは、三角形の回転子(ローター)を用いて回転動力を得ています。

世界の自動車メーカーが脱炭素へ凌ぎを削るなかマツダは、RX‐8の生産終了から11年振りにREロータリー・エンジンを復活します。
2023年6月コンパクトSUV「MAX-30」にREを搭載した「e‐SKYACTIV‐EV」を発売すると発表しました。
今回のREは駆動力ではなく、プラグインハイブリッド(PHV)車の発動機として載せます。
発動機として、電気で走る小型車の航続距離をのばす裏方に活かされます。

PHV 「Plug in Hybrid Vehicle」

一般的なハイブリッド車のモーターは自動車の動く力を利用して充電を行ってきました。

PHVはコンセントのように外部からモーターの直接エネルギーを充電させることが可能になります。
外部電源からの充電が可能なHV車よりもしっかりと充電を蓄えられることによりモーターでの走行距離は85㎞ですが、バッテリーや燃料タンクも搭載しREを組合わせると600㎞以上走行可能となります。

マツダのREは1967年に量産化した技術ですが、燃費が悪いなど課題があり2012年生産終了しましたが、発電用としての活路があるとみてREが見直され再度搭載されました。

REが復活するのは
①PVHと相性がいい。REは一般的なレシプロエンジンよりサイズも小さく、おむすび型のローター(回転子)を回し吸気・圧縮・燃焼・排気の工程で動力を作ります。
ピストン運動のエンジンより構造がシンプルです。
マツダの「MAX‐30」は小型車なので基幹部品のスペースに限界が有りますが、電池・走りを左右するモーター・発電用の小さいREを3個積みます。
②燃料に水素を使い走行時にCO2を出しません。③電動化での価格の高いEVと安価なPVHの競争でどちらが優勢か。

2027年世界の新車販売が9370万台と予測される中EVは23% PVHは7%と予測されますが2023年比1.6倍増です。
スウェーデンのボルボ社は2030年全ての新車をEVに、と発表しましたが、EV車の電源・発電所は脱・石炭、石油、天然ガスなのでしょうか。

マツダの水素燃料のREによるPVHこそ究極のクリーン車となります。