【第516号】令和5年12月

 ≪   帝国ホテル   ≫

1886年(明治19年)に東京の官庁集中計画が練られた際、外国人の接遇所を兼ねた国を代表する大型ホテルの設計が組込まれます。
帝国ホテルは外国人接待演舞場の鹿鳴館に隣接して1890年(明治23年)開業します。
渋沢栄一と大倉喜八郎によって設立される帝国ホテルはドイツで建築を学んだ渡辺譲の設計による木骨煉瓦造りです。

大正3年頃から当時の総支配人・林愛作は友人の米国建築家フランク・ライトに新館設計を依頼し大正5年契約を交わし、大正8年対震と防火に配慮した新館建設を着工します。
しかし隣接する初代帝国ホテルは大正11年に火災により全焼し、新館の完成は経営上の急務となります。
フランク・ライトの設計で、鉄筋コンクリートと煉瓦コンクリート造りの地上3階建て、地下1階、客室数270は、着工4年目の大正12年7月に竣工します。
9月1日に落成記念披露宴を開催しますが、関東大震災が襲ったのは宴の準備の午前中でした。ライトの設計した帝国ホテルは殆ど被害が無く、ひときわ人々に注目されます。

昭和20年3月東京大空襲で総面積の4割が被害を受けますが、終戦後米軍に接収されて修復されます。
戦後は大倉家から金井寛人(北支那の煙草王)が多くの株式を取得して会長となります。
昭和55年金井寛人の死後、全持ち株は小佐野賢治の国際興業に譲渡されます。
2004年国際興業はサーベラス(米国・投資会社)に買収されますが、2007年帝国ホテルの株式は三井不動産に売却され三井不動産が筆頭株主となります。

ライト設計の帝国ホテルは1968年(昭和43年)新本館建設の為に解体され、1970年(昭和45年)の日本万国博覧会(大阪万博)に合わせて同年に竣工します。

日本のホテル業界はインバウンド効果や、2025年開催の大阪万博で、外資系ホテルが堰を切ったように押し寄せて高級化路線を展開しております。

ホテルオークラ・ニューオータニと共に日本のホテル御三家の帝国ホテルは、2026年に京都の祇園(京都市東山区)に新ホテルを開業しますが、インバウンドの裕福層を取り込めるか、帝国ホテル社長・定保英弥氏に伺いました。

2024年から2036年にかけて帝国ホテル東京の本館と隣接するタワー館を建て替えます。

230社加盟の日本ホテル協会での、コロナ禍における2年間(2021年度 2022年度)の平均純損失は、コロナ前の10年間で稼いだ年間平均額の(平均純利益)の42年分に相当します。
リーマンショックや東日本大震災でも半年で回復しましたが、帝国ホテル130年の歴史上最悪の状況でした。
コロナ禍であらためてホテル業をこれからも続けていくには、企業として財務基盤がしっかりして、安定した収入を得ることが大事だと認識しました。
帝国ホテルは1983年にタワー館を開業しましたが、日本で初めての商業施設とオフイスとホテルの複合ビルでした。この年に不動産賃貸業を始め、そこから現在まで安定した賃貸収入を得ることが出来ているので、今でもなんとか体力が残っていて無借金でこられました。

帝国ホテル東京の本館とタワー館は2024年から2036年に建て替える計画です。

将来にむけてアクセルを踏み込んでいこうと、本館とタワー館の建替えをします。
新しいタワー館(2030年竣工予定)は安定した経営基盤、財務基盤を得る建物にする。
建て替え後は現状の高さ129mを230mとし賃貸オフイス、と長期滞在型サービスアパートメント、加えて賃貸住宅(マンション)も提供します。
2036年に完成する新しい本館は、客室を広くすることが建替えの目的の一つです。
今の本館は昭和45年開催の大坂万博に間に合わせの為、部屋数を多くする必要があり(30‐40㎡の部屋)ましたが、新本館は50㎡-60㎡の広い部屋で、グローバルスタンダードにしたいのです。

今後のホテル運営で重視していくことは、人手不足を解消する為にも効率的に稼げる体制を作る必要があります。
建替え後には部屋は広くなり、一方で部屋数が少なくなるのでスタッフはサービスの質を上げなければなりません。
質の向上の具体策にはコンシエルジュという接客のプロチームを拡充します。

長期間滞在用のサービスアパートを始めましたが、東京・日比谷周辺には長期滞在型の施設はありませんでした。
2021年2月に客室99室でスタート、好評でしたので同年12月にはタワー館全館350室を対象にしました。およそ7割が埋まっております。

2026年には京都・祇園に新ホテルを建設します。国の登録有形文化財である「弥栄会館」の一部を保存し、重層的な屋根や塔屋の形を残す、歴史・文化的価値のあるホテルなので2026年の開業にむけて準備を進めております。
弥栄会館の改装・新ホテル計画は、2019年から検討されており、建物は「本棟」「北棟」の2棟で屋根形状や外壁位置などのシルエットを継承します。
京都という土地柄建物の高さ制限は12mですが、弥栄会館と同じ31.5mの特別許可を得て客室は60部屋程度となります。
この京都の新拠点は50年100年といった長期に続くホテルとしてしっかり手掛けていきます。
当社にとって京都にホテルを造る意味は大きいのです。
海外のお客様が日本に来る時最初に東京に入ります。
東京から大坂・京都へ移動して関空から帰るケースが多くあります。
京都にホテルを持つと東京・大阪・京都の帝国ホテルでサービスを受けることができます。

帝国ホテルは東京の隣接地で再開発の計画が有ります。
2029年度に完成する建物の高層部では、NTT都市開発とともに100室規模のスモールラグジュアリーホテルを開業します。
ここは長年の経験とノウハウを結集させた、ハイエンドの裕福層のお客様を意識したホテルになります。
外資系のラグジュアリーホテルの更に上クラスのホテルにしようかと考えています。
京都に帝国ホテルができた段階で【帝国ホテル】のブランドを海外や国内のお客様にも広めて、帝国ホテルの東京・大阪・京都・上高地の山岳リゾートを回遊していただきたいと思います。

現在のホテル業界の競争環境は大変厳しく、デベロッパー(投資家)は高層ビルを建設してそこにホテルを誘致することで収益を上げようとします。
この流れはしばらく続き外資系ホテルが増えていくでしょう。
一方、東京のブランド価値があがることは大歓迎です。
帝国ホテルは今後、数を増やす考えはありません。
数を増やすと【帝国ホテル】のブランド価値が希釈するという考えもあります。
NTT都市開発との共同開発ホテルを含めると6拠点となるので、この6拠点を活用してどのように安定成長していくかが課題です。