【第510号】令和5年6月

 ≪  イオン ~  AEON・ラテン語 永遠 ≫

2023年2月決算でイオングループ (郊外型大規模モール店を筆頭に,GMSのイオン、薬局チェーンのウエルシア)は、売上高9兆円を超えました。他の小売店が不調ななか2000年以降も急拡大を続けます。イオンモールが築き上げた「AEON」のブランド力と資金力がグループ全体の成長に貢献しました。

何故イオン一強なのでしょうか。

イオンのルーツは三重県四日市1758年創業の日用品を扱う「岡田屋」です。1926年に六代目が「岡田屋呉服店」の株式会社とします。第二次大戦で店舗は焼失しますが七代目・岡田卓也氏により1946年営業が再開され、戦後は卓也氏の手腕により大きく成長します。
1964年ご当地スーパーだった岡田屋、フタギ、シロの三社が提携して「ジャスコ㈱・JapanUnitedStoresCompany」が設立されます。社長となる岡田卓也氏はGMS:総合スーパーとしてジャスコを発展させます。岡田社長はモータリゼーションを予見して、同年三菱商事と折半で「ダイヤモンドシティ」をオープンします。ダイヤモンドシティは「ジャスコ+各テナント」という形式をとるSC・ショッピングセンターで、現在のイオンモールの原型です。
1980年にはミニストップ1号店を開店してコンビニ事業に参入し、翌1981年にはジャスコのクレジットカード関連業務を扱う会社を設立して金融事業にも参入します。

1990年代からイトーヨーカドーが失速し、1995年ダイエーも不採算店の閉店を怠ったことで規模を大幅縮小していきます。一方のイオンは1989年「ジャスコグループ」から「イオングループ」へと名称変更します。食品、衣類、日用品などなんでも揃うGMSという形態は、失速することなく郊外に出店を続けます。
2000年以降は「大店立地法が制定され、大型ショッピングモールの建設が容易になり、イオンモールは国内外で約200店舗が展開されております。 八代目・岡田元也の下2010年からのM&Aによりグループは更に拡大し2013年にはダイエーを傘下に置きます。2015年には薬局チェーンのウエルシアHDを子会社化します。ブランドの統一も進められイオンモールだけでなくGMS・スーパーのイオン、マックスバリューも店舗を増やします。こうした成長を経てグループ全体の売上高は2001年2月期の2兆7386億円から、2023年2月期には9兆1168億円にまで拡大しました。

イオングループが成長し続けた要因を資金面からみると、2023年2月期における主なセグメント別の収入源及び営業収益/利益は次の通りとなります。
①GMS事業総合:スーパー「イオン」、「イオンスタイル」の売上3兆2690億円/利益141億円
②GMS事業総合:スーパー「マックスバリュー」、「ミニストップ」の売上2兆6421億円/利益228億円
③総合金融事業:クレカの「イオンカード」イオン銀行の売上4569億円/利益603億円
④ディベロッパー事業:イオンモール内の専門店からのテナント収入4435億円/利益452億円

各事業の収益と利益を比較すると売上高自体は ①②が巨大でありGMSやスーパーが主な収入源です。しかし利益率では10%を超える ③総合金融事業、 ④ディベロッパー事業が大きく ③④が主な資金源となっております。
イオングループはGMS・スーパーの出店を続けつつ、M&Aでも規模を拡大し続けますがその原資となったのは、小売業よりも不動産と金融業なのです。特に2000年以降は不動産業が実体であるイオンモールの成功が、グループ全体の成長に貢献したといっていいでしょう。ちなみに2001年2月期におけるディベロッパー事業の収入は331億円、営業利益は80億円しかありません。

なぜ国内のSC店はイオンモール一強なのでしょう。
イオンモールの成長要因は三つあります。
①日本ではイオンモールのような大型SC店をオープンさせる際には、地元商工会との合意が必要で、合意は難しく出店障害となりました。それが1991年の大店法改正及び2000年の大店法廃止・大店立地法の制度によって大規模SCの出店が容易にとなり、これ以降イオンモールは出店を続けます。
②大型SC店のもつレジャー要素です。食品や衣類・日用品まで揃うGMSは確かに便利ですがレジャー要素はありません。一方で、ある種の街並みのような大型SC店にはレジャー要素があり、買う物が無くても週末に訪れたくなる仕掛けがあります。また専門店同士の競争も生じる為、商品や店構えが陳腐化しないというメリットもあります。
しかし①②だけでイオンモールが伸びた理由ではありません。大型SC店という形態はイオンが初ではありません。
米国では1950年代から普及しており、イオンが伸びた最大要因③は競合の不在と出遅れです。
GMSで国内トップだったダイエーも1997年に赤字転落となり、2000年以降に大規模店を出店する余力はありません。イトーヨーカ堂も業績が伸び悩んだ事に加え、駅前・市街地を強みとしていた為に郊外型SC店の展開に出遅れました。それはセブン&アイHDが好調なコンビニ事業に注力していたことも要因として考えられます。

イオンモールによる不動産及び金融事業からの収入が、新規出店とM&Aの原資となりさらなる規模拡大につながります。国内では大規模SC店の出店余地は限られておりますが、イオングループは今後中国や東南アジアに出店を続けるほか国内でも駅前などの「都市型SC」を展開します。 岡田卓也社長は岡田屋の家訓「大黒柱に車をつけよ」 既存の事業に囚われるな、を座右の銘としました。

山口伸 氏 の記事を転載させて頂きました。

イオン東苗穂店は20年前の2003年6月、「ジャスコ東苗穂ショッピングセンター」を核店舗としてオープンし、96の専門テナントが出店しました。(敷地面積 61,820㎡・18,733坪 商業施設 31,232㎡・9,464坪)
2011年3月ジャスコ東苗穂店は「イオンモール」統合の一環で「イオンモール札幌苗穂店」に改称します。

【岡田卓也 1925年9月 生まれ 96歳 】
1945年終戦後の9月軍隊から復員すると岡田屋再建の為1946年40坪の岡田屋呉服店を開業。1948年早稲田大学商学部卒業。1969年岡田屋と兵庫県・姫路市のフタギ、大阪吹田市のシロの三社が合併し誕生する総合スーパー「ジャスコ」の初代社長に就任。全国展開する必要から大坂に住居を構え多くの小売企業を合併します。1989年9月グループ名を「ジャスコグループ」から「イオングループ」改称します。2000年会長を辞任し長男・元也氏に社長を譲ります。2023年5月春の叙勲で最高位の「旭日大綬章」を受賞しました。