【第486号】令和3年6月

≪ DeNA創立者  南場(なんば) 智子  ≫ 

経団連は日本の大手企業で構成され、会長・中西宏明(日立製作所会長)は財界総理と称されますが入院療養中の為6月1日の定時総会で退任します。

後任には住友化学会長・十倉雅和が就任し、女性初の副会長にDeNA会長・南場智子が選任されます。

インタビューで南場氏は、男女関係なく頑張った結果でのみ評価されるべきで、人材登用の基準は仕事ができるか出来ないかです。

DeNAでは女性管理職の比率は定めていないと答えますが、経団連は2020年7月の上場企業女性役員6.2%である現状を2030年までに30%とする目標を掲げます。

父は新潟で石油卸売業の経営者で女性に教育は必要ないという考えの人だった。
11時過ぎに帰宅した父に正座してお酌をして新聞を渡すのが私の仕事でした。

大学は父に指定された女子寮のある津田塾大学英文科に入学します。
父から少しでも離れようと必死に勉強し、主席に与えられる奨学金を得て姉妹校・プリンマー大学に1年間留学します。

卒業後の1986年マッキンゼー・ジャパンに入社しますが1988年マッキンゼーを退社しハーバード・ビジネススクール入学1990年にMBA(経営学修士)を取得します。

‘90年代初に米・マイクロソフトの業務用PC(パソコン)Windows3.1で沖電気は運送事業社向けの求貨物・求車両情報と運賃清算システムを開発、関西の運送事業協同組合にローカルネットワークシステムとして導入されます。

1995年一般家庭用のWindows95が発売されると富士通が沖電気のシステムを改良し、全国200協同組合・1800社の事務所にPCが導入さ運送事業は労働集約産業から情報集約産業へ変遷していきます。

南場は1996年34歳でマッキンゼー日本支社の役員に就任。

1997年1月顧客であるインターネットプロバイダーの山本泉二社長に、ソネット(ソニー・コミュニケーションネットワーク)でネットオークションを立ち上げるべきだと勧めます。

山本社長は経営コンサルタントの36歳の南場に「自分でやれば」と切り返します。
自分が経営者だったらもっと上手くやれるのでは、との愚かな驕りから会社作りを始めます。

仲間集めは、マッキンゼーで入社3年の川田尚吾と入社2年の渡辺雅之を口説き、社名はDNA(遺伝子)とeコマースのeを挟んで「DeNA ディー・エヌ・エー」とします。

インターネットを通じ、売りたい人と買いたい人の距離を縮める流通革命を起す。という気持ちを込めて1999年3月渋谷に事務所を構えます。

ソネット+リクルート+経営陣が其々5000万円をDeNAに出資します。

川田と渡辺に自分より優秀な人材を一人ずつ連れて来るよう指示、川田は大学の後輩でIBMから茂岩を、渡辺は実兄と監査役に父親を連れてきます。

マッキンゼーの後輩の妻で興銀出身の乙部が事務に参加します。
川田が中心に作るサービス仕様書をリクルートの信國さんが見て、ゼロから一緒に作り直そうと、共同作業が始まりリクルートの秘蔵子を連れてきます。

しかし10月になっても開発チームのシステムは全く出来ません。

この時、起業家へのアドバイスをするベンチャーキャピタル・NTVP(日本テクノロジーベンチャーパートナーズ)の村口さんは、出資しようと待っていた関係者に「システムは出来ていません、ヤリ直しです。お持ち下さい」と丁寧にお詫びします。

急遽天才エンジニアを呼ぼうと手を尽くしますが、誰もが年内は無理の返事でした。
最後にシステムのデータベース連携を事業とするインフォテリア・北原副社長が、素晴らしい仕様書なのでやってみようと応諾してくれます。

この騒動の少し前の9月、マッキンゼー時代に世話になった関係で南場は講談会を開催しております。

講演後、「ボクを雇ってください」という東大法学部でオラクル勤務の安藤が現れ採用が決まります。
安藤の第一声はこの会社にエンジニアが足りないと日本オラクルから5人連れてきます。

IBMからの茂岩とシステム内製体制への礎を築いた中の一人に日本オラクルから転職する現社長の守安功がおり、
1999年11月ネットオークション「ビッターズ」が誕生します。

ヤフーや楽天に先行されますが、ユーザーと徹底的に対話することでサービス業の本質を探っております。

しかし業界の雄ヤフーオークション(ヤフオク)との差は開くばかりで、ITバブルのはじける2000年3月に資金不足に陥ります。

2001年3月ソネットから1億円、NTVPから4億円、マッキンゼーの先輩から7000万円の5億7千万円で一息つきます。

投資家への責任からヤフー追従から、会員120万人のビッターズで経営の黒字化を優先します。

南場はビッターズショッピングに出店する店舗の勧誘に全国行脚に精をだし2003年3月期DeNAは黒字化を達成します。

2004年春、パケット料金が定額制になり携帯向けオークションサイト「モバオク」に手ごたえを得て、
PC(パソコン)ベースのサービスからモバイル(携帯電話)ベースに舵を切ります。

守安は携帯ユーザーに使い易いオークションをアルバイトの川崎に任せると、3カ月で「モバオク」を作ってしまいます。
以前から川崎の運営するウェブサイトをDeNA社内で注目し、彼をアルバイトで雇用しておりました。

この後優秀なエンジニア達が吸い寄せられる様に集まります。

2004年3月期の売上16億円の時に三ヵ年事業計画を作ります。
2007年3月期に売上高100億円営業利益率20%以上の目標は、一年で達成し2005年2月東証マザーズに上場します。

AppleのスマートフォンiPhoneが米国で2007年1月に発売されると、2008年7月ソフトバンク・孫正義がAppleのiPhone3Gを日本で独占販売を開始します。

DeNA南場社長の仕事は採用活動を最優先し、ピカイチの人材を口説き落としてきた中に2000年住友銀行からスカウトする春田真がおります。

最高レベルの人材を採用し、その人材が育ち実力を付けることを会社経営の究極の目的とし、実力あるものが埋もれずステージに立って輝く、だから会社を辞めない。

組織を球体とし全員が表面積を担う、球体は見る角度で無数の真正面となるので、一人ひとりが顧客に真正面に向きあいます。

DeNAに女性の執行役員は少ないが、実力に男女差を置いておりません。

しかしこの会社に優秀な人材が集まってきて、なぜ育つのか。それは「任せる」の一言で、七転八倒の失敗を重ねた後の成功体験で、人は育つからと南場は言います。

2011年夫の病気療養介護のため社長を退任、後任に守田功を代表取締役、春田真を会長、南場智子は非常勤取締役となります。

春田真は住友銀行からスカウトし南場の懐刀として支えてきた逸材です。

南場は2017年春田会長の辞任後会長職となり横浜DeNAベイスターズオーナーとなり、2020年女性初の日本プロ野球オーナー会議議長に就任します。