【第498号】令和4年6月

≪  BRIDGESTONE 創業者 石橋正二郎( 1889-1976 ) ≫

明治22年福岡県久留米市に足袋、着物の仕立屋を営む石橋徳次郎の次男に正二郎は誕生します。明治39年久留米商業高校を卒業業後、病気療養中の父の要望で兄と共に家業を継ぎますが、兄が徴兵され一人で家業を切盛りすることになります。当時の稼業「志まや」では給料無しの丁稚制度で7-8人が働いており注文生産でした。 正二郎は単品「足袋」の大量生産を始めます。丁稚制度を給料制に改め労働時間も短縮、19歳で店の近くに工場を建て裁縫ミシンを導入、21歳のとき四十人の職人を持つ足袋工場主となります。大正13年23歳社名を「アサヒ足袋」に改称し20銭均一で足袋を販売します。均一価格販売により日の出の勢いで会社は発展し三百人を雇うまでとなり、大正7年に新工場を建設します。日産二万足となり日本足袋㈱を設立しますが、この年第一次世界大戦が終わり不況となりますが、正二郎は足袋製造で培った技術と千人の従業員、機械設備を活用して新製品の開発に着手します。

第一次世界大戦で久留米の軍隊が中国・青島に出兵しドイツ軍を攻略し、五千名を俘虜として久留米へ送ります。ドイツ軍俘虜と久留米市民との交流は多方面に渡り染色、製パン技術などを指導します。大正12年正二郎は俘虜のゴム技師・ヒルシュベルゲル(36歳)を採用し「ゴム底地下足袋」を試作します。三池炭鉱で試用してもらうと耐久力も十分で、大正12年足袋底に糊でゴムを貼り付ける「アサヒ地下足袋」を発売すると、農業、林業、鉱山で年・百五十万足が売れます。 三井炭鉱から全国の炭鉱へ広がり、昭和3年1千万足、昭和10年2千万足のアサヒ地下足袋が売れます。

次に正二郎が眼につけたのは自動車の足・タイヤです。国内の自動車台数は乗用と貨物を合わせて昭和元年4万台、昭和3年6万6千台の全てが外国車で、ダンロップ、グッドリッチ、ファイアストン、ミシュランなど外国製タイヤを使用しておりました。昭和4年タイヤ製造装置を米国へ発注する際、タイヤ製造用金型に品名を彫刻する「ブランド」を決定する必要がありました。正二郎はヒルシュベルゲル技師と相談しタイヤの海外輸出には英語が通りやすいと考え、私の姓「石橋」Stone Bridgeでは語呂が悪いので Bridge Stoneに決めますが、当時の世界タイヤメーカー「ファイアストン」に憧れてもおりました

昭和5年日本足袋の倉庫でタイヤの試作品を完成、昭和6年日本足袋タイヤ部を独立させてブリヂストンタイヤ㈱を久留米に設立します。昭和6年~8年に44万本のタイヤを製造しますが10万本が不良品で返品されます。正二郎は返品タイヤを荷馬車のタイヤとして販売すると、大量の貨物を積んでも軽く牽けるので全国の運送会社から注文が入ります。昭和7年商工省優良国産品として認定されると、日本フォード自動車会社、日本ゼネラルモータース、クライスラーから納入適格品として認められます。 昭和8年豊田自動織機内に自動車部が設置され昭和10年G1型トラックを発表、昭和11年量産乗用車を発売します。昭和12年トヨタ自動車が設立します。昭和8年いすゞ自動車設立、昭和9年日産自動車設立して日本製の自動車時代が到来します。

日本で初めてゴルフ場が開かれたのは明治36年神戸ゴルフ倶楽部です。正二郎は兄の影響で大正14年頃からゴルフを始め、大正15年福岡の大保に福岡ゴルフ倶楽部が開場すると、会員となります。 昭和7年英国へ社員を派遣し、ゴルフボールの製造技術の習得と製造に必要な機械と原材料の購入を指示します。昭和9年英国から糸ゴム機などが届きゴルフボールの試作が開始となり、昭和10年に国産第一号Bridgestone SUPERが販売されます。輸入ゴルフボールは1球2円ですが、ブリヂストンボールは1球1円。当時の大卒初任給が90円の時代です。昭和11年Bridgestone SUPER発売記念として、全日本職業選手ゴルフ大会を開催、台湾の陳清水が優勝し賞金1000円を獲得します。

昭和26年富士精密工業が自動車部門へ進出するのを嫌う興銀の株式を正二郎が買取り、会長に就任します。昭和27年社名をプリンス自動車に変更、昭和32年初代スカイラインを発売します。昭和40年タイヤメーカーのブリヂストンが自動車販売会社を経営することは、トヨタ・日産などを刺激することになりプリンス自動車は日産へ売却します。

正二郎が目標とした米・ファイアストンはフォード社の純正タイヤサプライヤーとなります。1970年代終わりの自社製品「ファイアストン500」に関する大量訴訟を発端に業績は悪化します。1988年ブリヂストンに買収されますが、吸収合併後も訴訟問題は終わらず2000年には純正装着していたフォード社とも訴訟問題が起ります。2005年ファイアストンが実施したタイヤ自主回収、およびフォード社が行ったタイヤ交換プログラムに関する費用問題でフォード社と和解します。

ブリヂストンの所在地別売上高の半分が南北アメリカ大陸で日本の市場は25%前後です。

2006年世界シエアで仏・ミシュランと米・グッドイヤーを抜き世界一となります。2008年から5年間で設備投資を1兆3千億円増額しインドや東欧などで生産能力を上げます。

2022年現在生産拠点は25カ国178拠点で、売上高の2割はタイヤ以外の多角化事業によるものです。2021年12月期の連結決算で最終損益は3940億円の黒字となり7年振りに最高益を更新し売上高は前期比20%増の3兆2千400億円でした。乗用車の新車向けタイヤは車メーカーの半導体不足による減産影響を受けるも、北米や日本でバス、トラック向けを含めた市販用が伸びます。コロナウイルス禍で需要が落ち込んでいた鉱山車両や建設車両向けタイヤも増加しました。天燃ゴムや原油など原材料価格の高騰で1000億円の減益要因となりますが値上げや利益率の高い大型タイヤなどの販売増で補いまいした。2023年12月期を目標とする構造改革の効果、2019年に約160か所あった工場を4割減少し、非タイヤ事業の売却で102億円の黒字を計上しました。世界首位を争う仏・ミシュランの2021年12月期の売上高は3兆1億円となりブリヂストンは首位を堅持します。

ブリヂストンは2050年へ向けて、未来の子達に8つの「E」を創出します。

Energy・カーボンニュートラルな社会。

Ecology・より良い地球環境。

Efficiency・オペレーションの生産性を最大化する。

Extension・人モノの移動を止めずに革新を支える。

Economy・モビリティとオペレーションを最大化する。

Emotion・心動かすモビリティ体験

Ease・安心で心地よいモビリティライフを支える。

Empowerment・全ての人が自分らしく。