【第494号】令和4年2月

≪  大山健太郎 ・ アイリス オーヤマ  ≫

父の創業する大阪布施市の大山ブロー工業所を18歳で受け継ぎます。末期癌で父が急逝すると八人姉弟の長男健太郎は、従業員5人でブロー成形(プラスチックをパイプ状にして金型の中で空気を吹込み膨らませる)を孫請けします。22歳に孫請けからメーカーへ脱皮すると決意、養殖用漁業ブイ(浮玉)に眼を付けます。1966年三重県志摩の真珠養殖のガラス玉ブイをプラスチック製にすると大ヒット、次は田植機の育苗箱に眼を向けます。1970年プラスチック製の育苗箱の生産工場は北海道にも関東にも近いコメ処宮城県に決めます。1972年(27歳)年商7億6千万円となりますが1973年の第四次中東戦争により原油価格が急騰し1975年の売上は二年前の二倍となります。しかしこの売上は問屋の在庫が膨らんだもので、過剰在庫で価格破壊となります。資金繰りが悪化し本社大阪から撤退、社員もリストラします。この時大山は不況時でも利益を出し続ける会社を目指すと決意します。

オイルショックでプラスチック関連会社の8割が赤字でも2割の会社は黒字でこの会社は顧客のニーズに合わせたサービスや物作りをしていました。日本企業140万社の経営データを半年かけた分析調査で、消費者向けビジネスは好不況に左右されない園芸用品の会社に眼が留まります。従来の植木鉢は素焼きで重く割れやすい、プラスチック製なら軽くて丈夫でカラフルです。当時急成長していた育てる園芸のHC(ホームセンター)に注目し、農業用育苗箱の技術から底がすのこ状のプランターを開発します。

1980年名古屋のHCカーマにプランターが採用され園芸のプロから信用を得ると、育てる園芸から飾る園芸にコンセプトを広げます。大山は園芸の次にペットに眼をつけます。番犬用のイヌ小屋は庭の片隅に、ベニヤ板でエサは人間の残飯でした。1987年ペットは家族の一員・ファミリーとして受入れられ、カラフルで水に強いプラスチック製イヌ小屋は爆発的にヒットします。同時期透明なポリプロピレンが登場すると、大山は収納箱を透明にして中身の見えるクリア収納箱を販売します。このころ園芸用品を扱う問屋との関係が課題となります。大山の新製品は前例がなく問屋では販売の見込みが読めません。好不況に関わらず利益を出す会社を目指す大山は、販路は自分で確保すべきと決断します。

単なるメーカー直販でない、「メーカーベンダー=製造業兼問屋」は小売店への品ぞろえや売り場作りも請負い、物流の仕組みもケース単位でなく単品納品となります。1987年から工場兼物流センターを建設し15年間で全国ネットワークを完成させ、取引先のHCや量販店へは全国8カ所から翌日納品が可能となり、1988年の売上高は66億円となります。しかし生活用品の需要予測は全く出来ず、売れた物を迅速に補充するには在庫を「金型」で持つことになります。やがてメーカーベンダーの仕組みによって、店頭売上を即時に把握できると生産・在庫管理の予測が容易になり店頭までの運賃が1個単位で把握できます。 営業担当はデータを基に新商品を提案できさらに小売現場と直結したことで、商品開発の目線が生活者に近き、「モノづくり」は生活者の不満を解消する「顧客満足=ユーザーイン」となります。

1991年園芸ブランドのアイリスから商号をアイリス オーヤマに変更し世界進出します。

国内でクリア収納箱メーカーが乱立し価格破壊になると、アイリスは撤退して仕入れ部門のある米国に眼をつけます。収納額を製造する工場設備を米国に移設、1994年カルフォルニア工場が稼働するとクリア収納箱は大ヒットします。全米4工場体制で1995年の売上高は556億円となります。1996年中国・大連でクリア収納箱を生産、現在中国では4拠点です。1998年オランダで収納箱を生産し欧州市場をカバーし2019年パリに欧州二つ目の工場を設立します。韓国へは1988年に金型調達の拠点を設立、2019年仁川に生産拠点を竣工します。

2001年老舗家具メーカー・チトセが民事再生法を申請すると直ちに買収、木製組立家具を発売します。さらにホームセンターへの依存度を下げる為に家電商品へ進出します。

この年アイリスはネット通販(アイリスプラザ)を開始しており、25,000点アイテムの商品が国内9か所、海外19か所の工場兼物流センターから配送されます。大山には一般市民の生活水準は日本が一番高く、日本で売れれば世界で売れるとの確信がありました。

2009年LED電球が1個5千円のときアイリスは2千円で発売します。2千円なら1年で元が取れ、2年目から電気代が1/10になるとアピールします。2011年東日本大震災で節電規制になると、照明電気が全電力の三割なのでLED電球に5倍の注文が入り大連工場で増産、シエアは1位となります。2011年3月の東日本大震災で宮城・角田本社工場が被災しますが4日後には兵庫・三田工場のバックアップシステムから全国6工場で角田工場分を生産、2011年売上高2400億円。 三洋電機が清算された大阪に2013年家電メーカーの技術者を受け入れる拠点を設け、電子レンジ、冷蔵庫、エアコン、洗濯機の開発が始まります。

アイリスの工場ラインはフル生産でなく稼働率は7割です。一見非効率ですが急な需要拡大時に10割稼働にすることで150%増産可能となる余裕をもたせます。コロナ禍でのマスク生産は、2009年メキシコで発生するインフルエンザが5月に神戸で確認され品薄状態になった経験が生かされます。この時アイリスは中国の大連と蘇州工場で秋には6千万枚/月、年末には1億2千万枚/月まで増産した実績がありました。

創業時の製品開発は大山が企画する製品を開発、製造部門へ説明する場でしたが、マーケティング部門、広報、PR部門など全部門を集めた「プレゼン会議」に移行されます。毎週月曜の9時から17時まで宮城角田本社で開催し毎週60件が議題に上がります。 アイリスには10万店舗の取引先があり販売予測がたち、全社員による日報データベース「ICジャーナル」による全部署、全社員の現場情報を共有して世界の市場予測を把握します。

プレゼン会議で大山は「それ誰が買うんや」が口癖で、売上高全体に占める新製品(発売三年以内)比率を50%以上とします。ここ数年は1000点/年以上を投入し2019年の新製品比率は64%です。TVのリモコンが見つからないことが開発動機となりTVに直接音声入力をする「音声操作液晶TV」を2019年に発売します。10万の小売店での販売動向がリアルタイムで把握、消費者の潜在ニーズを言語化する能力をもつアイリスを一大家電メーカーに押上げて2020年売上高6900億円となります。 2022年には音声入力冷蔵庫に本格参入し売上高1兆円を目指します。AI/5G/IoTにより個人情報はビジネス情報となります。