【第448号】平成30年4月

≪  JR 貨物  ≫

明治5年官営鉄道が新橋―横浜間に開通し、明治22年には新橋―神戸間の東海道線が開通します。北海道開拓使・黒田清隆に招聘される米国技師ケプロンが明治5年に来道すると、明治元年に発見された三笠・幌内炭鉱の採掘から輸送までの機械化をすすめます。明治13年手宮(小樽)―札幌が開通、明治15年手宮―札幌―岩見沢―幌内(三笠)間の官営鉄道が全面開通します。新橋‐横浜間の蒸気機関車は英国製を輸入しておりましたが、北海道では米国技師の指導で米国製蒸気機関車が採用されます。明治14年私鉄の日本鉄道会社が東京―青森間の鉄道を施設、次いで高崎線・常磐線など東日本で多くの路線を建設して私鉄と官営が全国に網羅します。私鉄が鉄道総延長7,600㎞の7割、5,100㎞を越えると明治政府は富国強兵、殖産振興を旗印に明治39年大手私鉄を全て国に統合する鉄道国有法を成立します。政府は主要路線の全てを国の管理下とし、戦時下では軍需品輸送と兵隊の移動に役立て、戦後も全国をネットワークする鉄道輸送は経済復興に重要な役目を果たします。

国鉄は戦後の復員者、引揚げ者24万人を受入れ、ピーク時には62万人になり赤字が400億円を超えると定数を12万人削減します。昭和24年GHQは占領政策の一貫として大蔵省専売局は公共企業体「日本専売公社」に、逓信省は電気通信省と郵政省に分離しそのご電気通信事業は公共企業体「日本電信電話公社」となります。官営鉄道は全額政府出資の公共企業体「日本国有鉄道」となり三公社とよばれます。公社は国営事業ですが内部管理および経営の方法について通常の行政機関や公団よりも自主的な権限が認められております。

12万人の定数削減に労働組合はゼネストを決行しようとしますが、GHQと国により阻止され公共企業体の労働組合にはスト権は与えられず賃金も政府による仲裁裁定となります。

戦後の経済復興で国鉄も黒字基調にあり、昭和30年-昭和40年にかけて日本経済は高度成長の波に乗り旅客・貨物輸送は急増し、全国の高速道路や港湾空港の整備など交通インフラも急速に整備されます。こうしたなか国鉄は時代の趨勢に機敏に対応出来ず、競争力は急速に低下し財政状況も悪化の一途をたどります。国鉄には企業性は与えられず経営の判断は運輸省に監査され、予算制度は大蔵省の監督があり、国会には運賃決定権を握られます。

一方公共性について国と国会は種々雑多な公共負担を国鉄に課します。昭和39年は単年度で300億円の赤字となり現場は労使紛争と職場規律の乱れが続き、管理者は人作り教育と生産性向上運動に取組みますが、昭和48年に組合は安全性確保のための順法闘争を繰返します。ダラダラ運行で定時運行も守られず、昭和50年11月から12月にスト権を求める「スト権スト」がおこります。自民党幹事長は東京首都圏の市場を守れと厳命し、八日間のスト中はトラックを総動員します。このストで大阪の松下電器は国鉄本社で「以降鉄道とは縁を切らせてもらいます。」と宣言し、貨物にとってこのスト権ストが鉄道貨物輸送衰退の第一歩目となります。昭和55年度決算で国鉄の単年度赤字は1兆円を超え、累積赤字も6兆5千億を超えます。昭和57年度の貨物部門収入は2500億円で赤字は7400億円を超えます。

土光敏夫による第二臨調(増税なき財政再建)により、三公社の専売公社と電信電話公社は昭和60年に民営化となります。日本国有鉄道は昭和62年4月JR旅客「北海道・東日本・東海・西日本・四国・九州」の六社とJR貨物一社に分割民営化されます。貨物部門には7千万㌧の貨物と270億㌧㎞の輸送があり、コンテナの平均輸送距離は900㎞あります。また日本通運を代表とする全国の通運業者には、貨物取扱駅から発荷主戸口と着荷主戸口をトラックで輸送するネットワークを持ち、鉄道貨物とトラックで全国を一元的に運営します。

民営化の翌年の昭和63年3月に青函トンネルが開通、4月瀬戸大橋が開業すると、日本列島四島はレールで結ばれ鉄道による全国ネットワークが完成します。

北海道から本州へは250万㌧/年(50%は農産物)、本州から北海道へは230万㌧/年(書籍・宅配便)が青函トンネルのJR貨物・51便/日で輸送され、2016年開通の北海道新幹線には新幹線レールと貨物共用レールの三線軌条が施設されます。新幹線と貨物列車はトンネル内で対面交差し、安全確保のため新幹線は140㎞/時に制限されて東京‐函館間は4時間となります。札幌延伸の2030年度末には東京―札幌間は4時間、トンネル内速度は260㎞/時以上が求められ貨物と新幹線の共用は有り得ません。また貨物を新幹線車両で輸送する案もありますが、輸送コストは貨物の採算にあいません。

JR貨物はJR旅客六社のレールを借用して運行しているので、今年のJR北海道の赤字路線見直しで旭川-北見、滝川-富良野、沼ノ端‐岩見沢間などが廃線となるとJR貨物の運行も廃止となり貨物輸送はトラック、フェリーへ代替されるでしょう。

2018年6月川崎汽船は室蘭‐岩手宮古間を片道十時間で就航し、停泊時間は両港とも2時間なので1隻で毎日同じダイヤ(宮古8:00発‐室蘭18:00着⇒室蘭20:00発‐宮古6:00着)で運行でき、ドライバーは8時間以上の休憩がとれます。

札幌延伸の2030年末にJR北海道の管理する青函トンネルが新幹線優先で貨物輸送を半分に制限すると、全国‐北海道間のJR貨物の半数、関東圏―北海道(札幌-隅田、宇都宮、熊谷、神奈川駅など)はトラック・フェエリー・海運輸送に代替せざるを得ません。

JR貨物は21世紀に入ると、ITでコンテナ輸送の総合管理システムを構築し、コンテナ荷役のフォークリフトにGPSを装置しリアルタイムで所在や荷主管理を総合的に行います。平成16年特急コンテナ電車(大型10㌧車と同じ31フイートのコンテナ)を開発し、コンテナ28個(トラック28台)を東京‐大阪6時間で輸送し往復宅配便の契約を結びます。

しかし大量輸送機関である鉄道、海運はダイヤに基づき運行されるので、個々の利用者はドア・ツウ・ドアで輸送時間が正確で運賃の低廉なトラック(51.3%)を第一に選択し、次は船舶(43.4%)、鉄道(5.0%)、航空(0.25%)が利用されてきました。

労働力不足と道路渋滞、大気汚染に備えて全国に150拠点を持ちモーダルシステムを整えてきたJR貨物へ、遠距離輸送ばかりでなく中距離(関東―関西間の500㎞圏)、チャーター共同輸送も増加の一途をたどります。  2017年3月期JR貨物は民営化以降初めて黒字を達成します。 我が国の労働人口の減少と高齢化で、物流はトラックからJR貨物へ移行しJR貨物の経営基は安定し上場企業を目指します。